自己紹介「私について」
1950年神戸に生まれました。中学2年生まで神戸で育ちましたので、私の故郷は神戸です。その後東京、神奈川と移り住みました。
小学校4年生のときに御手洗先生という女性の先生に教えて頂きました。素晴らしい先生でした。御手洗先生から手押しポンプの原理について教えて頂きましたが、大変興味深く印象に残っています。
小学校5年生、6年生のときには松田先生という海軍士官学校在学中に終戦となり、神戸大学で学びなおして教員になられた方に教えて頂きました。素晴らしい先生でした。松田先生から浮力について教えて頂きました。水が入った容器の重さは、その中に物体を吊るすと、物体が排除した水の重さ分、重量が増します。ここで「ストローでぶくぶく泡を入れたら、容器の重さはどうなるんですか?」と手を挙げて質問しました。松田先生は皆で実験をしてくださった上に、恩師のもとにどう説明すべきか相談に行ってくださったようでした。懐かしい思い出です。
これらのことが将来流体の研究に導かれるきっかけになったように思います。
私共の世代は、子供のころ、まだ街に敗戦の匂いが色濃く残っていました。私がご指導いただいた先生方は「この子たちが将来の日本を背負うのだ」という真剣な気持ちで、導いてくださったように思います。ありがたいことだと、感謝しています。
大学時代亀本喬司先生から、めくるめくような研究の楽しさ、面白さを教えて頂きました。この体験がなければ、研究者にはなっていなかったと思います。
大学院修了後大学に赴任するにあたり、指導教官の石原智男先生から次のようなはなむけの言葉を頂きました。
・誰もしたことのないような研究をすること
・論文は日本機械学会に投稿すること
父からは、『お前が赴任する大学は国立や公立の大学ではなく私学である。私学は学生の親御さんが高額な学費を払ってくださって、お前たち教員を養ってくださっているはずだ。研究、研究と言って、学生の教育をないがしろにすると、罰が当たるぞ。』というはなむけの言葉をもらいました。自分の興味のあることを自由に研究したいということだけを考えていた私には、耳の痛い言葉でした。
大学赴任後一番影響を受けたのは小町谷進先生です。自分があまり得意ではない製図の授業のお手伝いをしました。小町谷先生は70歳のご定年まで、学生の指導に情熱をもってあたられ、製図提出日には、真夜中まで学生と真剣勝負の指導をしておられました。
小町谷先生からは、当時出始めたパソコンについて調べるようにアドバイスをいただき、調べているうちに欲しくなって、一式百二十万円もした8ビットのパソコンを自費で購入しました。このアドバイスを頂かなければ、それ以後の研究は全く違ったものになっていたと思います。
それから四十数年、大学工学部で学生諸君と流体の研究をし、学生諸君に流体の面白さを伝えようと過ごしてまいりました。こちらにご紹介するのは、そのこぼれ話です。