2021年6月28日(月) 過保護な親ばか
道具を準備しておいて欲しいとのこと。
それならば今までにない餌釣りの仕掛けを作ってやろうと、3Dプリンターで早速試作。
夜中の港に試釣に出かけました。
コンビニでジャリメを調達して、投入。
餌を取られること数回、針を折られること1回。
釣果はゴンズイ2匹だけ。
釣りの腕は悪いが、仕掛けは上々。
子供を出汁に、また楽しんでしまいました。
常々身体の要望を理解しそれを叶えたいと思っていても、言葉が通じない者同士が身振り手振りで意思疎通しようとするように難しい。ましてや意思疎通しようとする意志がなければ無理である。
若いころ大病を患い、そう長くは生きられまいと周囲が思った人が長生きし、病気一つしたことがないと豪語していた人が早死にする例は、身体と意思疎通する努力をしたかどうかによるところが大きいのではなかろうか。
そして前者が人々の心に残るよい仕事を残す例が多いのは、そのことによって頭と心をいつもクリアに保つことができたからではなかろうか。
私は齢七十になるまでそのことに気づかず、身体には無理を強いてきた。今静かに仲直りしようとしている。
『私が大学に残ったのは、自分のやりたい課題を自由に研究できる環境が欲しいと強く望んだためです。在職中の43年間、まさにこの望みが叶えられたことを深く感謝致しております。そして退職後も今まで通り、研究を続けていく所存です。
赴任前父親に、『お前が赴任するのは私立大学だ。学生が納めてくださる学納金で養われているはず。研究、研究と学生の教育をないがしろにしてはいけない』と諭されました。
教育で特に心がけたのは双方向授業でした。Zoomによる講義を最後に経験しましたが、ここでも十分に双方向授業が成り立つことを確かめました。
研究室の壁には各年の卒業生の集合写真が名前付きで掲げてあり、学園祭で訪ねてくれる沢山の卒業生達の顔と名前を一致させるのに大変役立ちました。そろそろパネルを掲げる場所がなくなってきたところで退職となります。このパネルと43年間分の卒業論文、修士論文を収納する場所を何とか自宅に確保しました。
大学のご厚意で使い慣れた研究室の旋盤やフライス盤などをお譲り頂きました。退職後も研究環境はバッチリです。研究したい課題は日々出てきます。どうも私の一生は学生のままで終わりそうです。
長い間本当にありがとうございました。』
と提出しました。